2011年5月27日金曜日

悲嘆反応について

 1か月半ぶりの書き込みになります。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。
 
余震はまだ続いているものの、間隔は少しずつ遠のいています。しかしその一方で、原発事故はまだ収束の道が見えにくく、今になって知らされる重大な情報もあることから、放射能に対する不安はむしろ強まる方向にあるのかもしれません。
 ゴールデンウイークの期間中、東京女子医大精神科の活動に参加させていただいて、宮城県気仙沼市のこころのケアのお手伝いをしてきました。当時、桜の花が満開となった土手の下を流れる川にはまだ無数の自動車や倒壊家屋が沈んでおり、自然の美しさと恐ろしさを同時に見せつけられてきわめて圧倒される感情に襲われました。このような感情をきっと「脅威」というのですね。

 この震災では亡くなられた方だけでなく、行方不明のままの方も多数おられたことから、トラウマティック・ストレスの学域では悲嘆(グリーフ)がテーマとしてよく取り上げられるようになりました。
悲嘆とは大切な人を亡くしたあとのこころの反応であり、もちろんだれにでも起こるものです。ただ、6か月以上にわたって著しい反応が続き、その人の日常生活を脅かすほどになってしまった場合には複雑性悲嘆と呼ばれ、通常より重篤な反応としてとらえられます。「悲しむこと」を自分のなかに収めていくことのむつかしさを、複雑性悲嘆という現象は教えてくれています。

 日本人には、通夜、葬式に続いて初七日、四十九日、七十七日、百か日、一回忌と、死後の儀式を細かく定めてきた歴史がありますが、もしかしたらこの弔いの文化は災害国としての悲嘆反応への対応が結実したものなのかもしれませんね。「おくりびと」という映画がありましたが、それもこの文化の一端のような気がします。

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