1か月半ぶりの書き込みになります。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
余震はまだ続いているものの、間隔は少しずつ遠のいています。しかしその一方で、原発事故はまだ収束の道が見えにくく、今になって知らされる重大な情報もあることから、放射能に対する不安はむしろ強まる方向にあるのかもしれません。
ゴールデンウイークの期間中、東京女子医大精神科の活動に参加させていただいて、宮城県気仙沼市のこころのケアのお手伝いをしてきました。当時、桜の花が満開となった土手の下を流れる川にはまだ無数の自動車や倒壊家屋が沈んでおり、自然の美しさと恐ろしさを同時に見せつけられてきわめて圧倒される感情に襲われました。このような感情をきっと「脅威」というのですね。
この震災では亡くなられた方だけでなく、行方不明のままの方も多数おられたことから、トラウマティック・ストレスの学域では悲嘆(グリーフ)がテーマとしてよく取り上げられるようになりました。
悲嘆とは大切な人を亡くしたあとのこころの反応であり、もちろんだれにでも起こるものです。ただ、6か月以上にわたって著しい反応が続き、その人の日常生活を脅かすほどになってしまった場合には複雑性悲嘆と呼ばれ、通常より重篤な反応としてとらえられます。「悲しむこと」を自分のなかに収めていくことのむつかしさを、複雑性悲嘆という現象は教えてくれています。
日本人には、通夜、葬式に続いて初七日、四十九日、七十七日、百か日、一回忌と、死後の儀式を細かく定めてきた歴史がありますが、もしかしたらこの弔いの文化は災害国としての悲嘆反応への対応が結実したものなのかもしれませんね。「おくりびと」という映画がありましたが、それもこの文化の一端のような気がします。
東京女子医科大学附属女性生涯健康センタークリニック:災害対策ブログ
東京女子医科大学附属女性生涯健康センターをご利用いただいている方のためのブログです。
2011年5月27日金曜日
2011年4月9日土曜日
子どもの疎開
皆様おはようございます。
昨日午後、NHKのつながるラジオに震災のこころのケア関連で出演してきました。
清水国明さんというと、私たちの世代では「あのねのね」というお笑いバンドの人、という印象が強かったのですが、今は河口湖自然楽校というNPO法人のリーダーをしておられ、このたびの震災でも積極的に被災地の子どもの受け入れをしているという話をお伺いしました。養育者の方たちは、復興への参加など様々な事情で地元を離れるわけにはいかないが子どもは少しでも安全で安心できる場所に移したいという気持ちで、子どもを清水さんのもとに託しておられるそうです。2歳から15歳くらいまでの子どもが、昨日の時点で37人疎開されているとお聞きしました。
「学童疎開」という言葉は多くの日本人にとってすでに戦争中の記録の中でしか見ることがなかったものですが、いま、一つの現実となっているのだということを実感しました。
災害時のこころのケアの第一歩は「安心、安全、安眠」のできる場所の確保なのですが、震災後1か月を過ぎてもまだそれが達成できていない地域のほうが多いのが今回の震災です。昨日の宮城県での余震は東京にいても恐ろしいものでした。被災地の方々の心労は如何ばかりだったでしょうか。
子どもを、養育者との関係を保ちつつ安全な場所に移すという活動、余震や放射能の不安の大きい被災地にとって大きな助けになるだろうと思いました。
加茂登志子
昨日午後、NHKのつながるラジオに震災のこころのケア関連で出演してきました。
清水国明さんというと、私たちの世代では「あのねのね」というお笑いバンドの人、という印象が強かったのですが、今は河口湖自然楽校というNPO法人のリーダーをしておられ、このたびの震災でも積極的に被災地の子どもの受け入れをしているという話をお伺いしました。養育者の方たちは、復興への参加など様々な事情で地元を離れるわけにはいかないが子どもは少しでも安全で安心できる場所に移したいという気持ちで、子どもを清水さんのもとに託しておられるそうです。2歳から15歳くらいまでの子どもが、昨日の時点で37人疎開されているとお聞きしました。
「学童疎開」という言葉は多くの日本人にとってすでに戦争中の記録の中でしか見ることがなかったものですが、いま、一つの現実となっているのだということを実感しました。
災害時のこころのケアの第一歩は「安心、安全、安眠」のできる場所の確保なのですが、震災後1か月を過ぎてもまだそれが達成できていない地域のほうが多いのが今回の震災です。昨日の宮城県での余震は東京にいても恐ろしいものでした。被災地の方々の心労は如何ばかりだったでしょうか。
子どもを、養育者との関係を保ちつつ安全な場所に移すという活動、余震や放射能の不安の大きい被災地にとって大きな助けになるだろうと思いました。
加茂登志子
2011年4月6日水曜日
震災とペット
大津波から3週間、海に流された家屋の屋根に犬が発見されてニュースになりました。首輪をしていたので、きっと飼い主さんが見つかるだろうと信じていましたが、幸い飼い主さんがテレビのニュース画面に映った犬の姿を見ておられて、すぐに自分の犬だとわかったとか。飼い主さんと対面して、ちぎれんばかりに尾を振っていた犬がいじらしかったですね。
災害時にはペットの動物も苦難に遭ってしまいます。避難所にはペットは連れて行かれないものと思っていましたが、実際にはペットを連れての避難をされている方や、はぐれてしまった動物たちなど、被災動物の救護のため、様々な支援が行われていることを知りました。心強い!!
少ないとはいえペット可の避難所もあり、そのような避難所や仮設住宅を増やそうという署名活動も広がっています。女性生涯健康センターの職員も協力しました。
拙宅のネコはもともと恐がりですが、地震で相当恐い思いをしたらしく、以来ネコベッドで寝なくなってしまいました。多分そこに入っているときに大きく揺れたのでしょう。東京ですらそうなのですから、被災地の動物たちはどうでしょう。飼い主さんと一緒にいられるのが何よりですよね。
今、万一のときに自宅のペットをどのようにしたら良いか、など思案しています。家族同様のペットだけれど避難先で迷惑になってはいけないし、持って行くものとして、当面のペットフードなどはもちろん、ネコにも連絡先を記した、外れにくく、かつ安全な避難用首輪を用意しておいた方がよいのではないか?連れ出すときのキャリーは軽量でかさばらない方が、他に持ち出す避難用品への影響が少ないかも、・・などなど。備えあれば憂いなし、ですが、嫌がるネコをキャリーに入れる練習もしておいた方がいいかも知れませんね・・・・
2011年4月5日火曜日
震災の体験@東京
震災から3週間が過ぎ、正常化する外来のなかでみなさんから震災の体験をいくつかお伺いすることができました。東京では震災遭遇時にその人がいた場所によってずいぶんと感じ方が違うようでした。
原宿、表参道の路上で震災にあった方によれば、周囲のガラス張りのビルが大きく揺れて、騒然とし、車は片側に寄せて停車、ガラスが割れるのではないかと不安になった人々が中央分離帯を歩いて必死に移動していたそうです。その方はてっきり関東大震災がきたんだと思ったとのこと。また、30階以上の高層マンションにお住まいになっている方は、免震構造で大きく揺れて地震も確かに非常に恐ろしかったそうですが、その後停電したためエレベーターが止まって階下に降りることができず(一度降りたら最後、部屋に戻れないと思ったとのことです)、テレビもつかず事情がつかめないままだんだん日が暮れていくことでさらに不安が募ったとのことでした。一方で、自宅にいて、いつもより揺れたものの、大震災とまでは思わなかったと言う方も。
みなさんがほぼ口をそろえておられたのは、「テレビを見ていて気持ちが悪くなった」ということでした。部屋に水が入ってくる夢を見たという方もおられました。小さなお子さんも一緒にテレビを見ていたところ、夜泣きやおもらしが始まったという方もおられました。3日くらいは見たが、その後はなるべく消していたという方が多くおられて、賢明な判断をされたと思いました。
幸いなことに、ほとんどの方たちは、数日は不安や不調を感じ、地震酔いを感じたものの、早い方で1週間、遅い方でも2週間ほどでだんだん落ち着いてきたと言っておられました。軽い急性ストレス反応で終了した方がほとんどだったのでしょうね。
しかし、これまで何らかのトラウマ体験があった方や、場所により激しい揺れを体験した方など、個別的にはまだ具合が戻らないという方も確かにおられます。不調を感じておられる方は来院時に遠慮なくお伝えください。
加茂登志子
原宿、表参道の路上で震災にあった方によれば、周囲のガラス張りのビルが大きく揺れて、騒然とし、車は片側に寄せて停車、ガラスが割れるのではないかと不安になった人々が中央分離帯を歩いて必死に移動していたそうです。その方はてっきり関東大震災がきたんだと思ったとのこと。また、30階以上の高層マンションにお住まいになっている方は、免震構造で大きく揺れて地震も確かに非常に恐ろしかったそうですが、その後停電したためエレベーターが止まって階下に降りることができず(一度降りたら最後、部屋に戻れないと思ったとのことです)、テレビもつかず事情がつかめないままだんだん日が暮れていくことでさらに不安が募ったとのことでした。一方で、自宅にいて、いつもより揺れたものの、大震災とまでは思わなかったと言う方も。
みなさんがほぼ口をそろえておられたのは、「テレビを見ていて気持ちが悪くなった」ということでした。部屋に水が入ってくる夢を見たという方もおられました。小さなお子さんも一緒にテレビを見ていたところ、夜泣きやおもらしが始まったという方もおられました。3日くらいは見たが、その後はなるべく消していたという方が多くおられて、賢明な判断をされたと思いました。
幸いなことに、ほとんどの方たちは、数日は不安や不調を感じ、地震酔いを感じたものの、早い方で1週間、遅い方でも2週間ほどでだんだん落ち着いてきたと言っておられました。軽い急性ストレス反応で終了した方がほとんどだったのでしょうね。
しかし、これまで何らかのトラウマ体験があった方や、場所により激しい揺れを体験した方など、個別的にはまだ具合が戻らないという方も確かにおられます。不調を感じておられる方は来院時に遠慮なくお伝えください。
加茂登志子
4月5日、今日クリニックの前に咲いている桜です。きれいですね。 |
2011年4月4日月曜日
放射能はなぜ怖いのか
原発の成り行きはまだ不透明なように見えます。時間もかかりそうです。
なんとなくニュースへの登場は減って、落ち着いてきたの? そう見えるけれど、まだまだ不安。そう感じられているかたもおられるのではないでしょうか。
「ベクレル」や「シーベルト」など、これまではほとんど耳にしなかった専門的用語も少しは使い慣れてきましたが、広島・長崎の記憶のある私たちには、放射能や核などという言葉はやはり根深い不安を呼び起こします。
東海村原発事故のとき、こころのケアに携わった武蔵野大学の小西聖子先生が日本トラウマティックストレス学会の大震災支援対策サイトに寄稿しておられます。
「原発事故による避難者/被災者のメンタルヘルス支援について」
一段落したところで読んでごらんになると、自分のこころの動きを振り返ることができて、いいですよ。
加茂登志子
なんとなくニュースへの登場は減って、落ち着いてきたの? そう見えるけれど、まだまだ不安。そう感じられているかたもおられるのではないでしょうか。
「ベクレル」や「シーベルト」など、これまではほとんど耳にしなかった専門的用語も少しは使い慣れてきましたが、広島・長崎の記憶のある私たちには、放射能や核などという言葉はやはり根深い不安を呼び起こします。
東海村原発事故のとき、こころのケアに携わった武蔵野大学の小西聖子先生が日本トラウマティックストレス学会の大震災支援対策サイトに寄稿しておられます。
「原発事故による避難者/被災者のメンタルヘルス支援について」
一段落したところで読んでごらんになると、自分のこころの動きを振り返ることができて、いいですよ。
加茂登志子
2011年3月30日水曜日
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